前回稿では『「不安」を抱く日本』と題して、不安と不満の対比から「もう一つの」日本社会像を描いてみました。
常々書きたいと思っているのは、多くの人に視野が《ふっ》と広がる感覚を届けられる「もう一つの視点」です。
今回は題して『「現在」の所在地』。
自分のキャリアの位置を考えるために、数十年、数百年の単位で「現在の潮目」を見つめる、「もう一つの視点」を探す試みです。
目次:
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■ 0.導入: 「現在」の向かう先
■ 1.「第三次産業革命の浸透期」
■ 2.インターネット時代の「ソーシャルの次」
■ 3.まとめ
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■ 0.導入: 「現在」の向かう先
これを考え始めたきっかけは、何年か前、自分のキャリアの方向性について考え込んでいたときでした。
自分の一生を賭ける職業を選択するために重要なこととして、2つの要素を考え始めました。一つ目は、「人の役に立つことで自分ができることは何か」、もう一つは、「自分がしたいこと、するべきだと思うことは何か」。
仕事というのは本質的に、人様の役に立つことをして、その対価を受け取ることです。ですから、自分が出来ることで人様の役に立つのは何か、と考える前者は必然的な起点だと思います。そして後者つまり、本当にいい仕事をして後に残るものを作るためには、仮に否定する人がいても信じ続ける志や、そのことを考え出すと夢中になって没頭するほどの執着が必要でもあると思います。
この2つの要素以外にも、「一緒に働きたいと思える仲間と会えるか」や「どんなライフスタイルを望むか」などもあるでしょう。ですが、これらは偶然の縁だったり、時間とともに刻々と変わるものであったりしますから、当然考慮に入るとはいえ、自分のキャリアを通したライフワークの基軸を選択するときは、やはり先の2要素を主軸に考えるべきと思います。
・・・などと考えながら、いやいや、3つ目の要素として、「今の時代がどこへ向かうのか」も考えに入れなくては、と思ったのです。
自分のキャリアを構成する時間はざっと20代から60代までの50年間ほど。最も影響力の大きな仕事をできるのは40-50代でしょうか。この50年間は、「2000年代から2050年代まで」のように西暦で両端が決まる明確な時間区間です。
この時間区間は、親や先輩が通った過去と同じでは決してありません。自分のキャリアが収まるこの時間区間に時代はどこへ向かうのか、その定見を持たずして、その上に乗っかる職業の選択は何がベストかなんて考えられないじゃないか、と思ったのです。
なお、時代による環境の変化は、二つの要素に切り分けられます。一つは、世界全体としての変化。もう一つは、地理的な情勢の変化。後者に属する「米中の軍事・経済バランス」、「ランドパワーとシーパワー」などのトピックはいったん置いておいて、まずは前者、地理的バランスには依らない普遍的な変化から考え始めるべきだと思います。
以下では、時間スケールの異なる2つのストーリーをご紹介します。一つ目は、イギリス産業革命から三百年とその先のお話。二つ目は、インターネット時代の三十年とその先のお話。
■ 1.「第三次産業革命の浸透期」
「現在」は、どのような時でしょうか。
歴史学者が学問上の客観性を持って定義するものでもなく、新聞記者が世間を賑わせたヘッドラインの変遷をまとめるものでもなく。自分の人生、特に職業観を築き、自分自身の数十年間を注ぎ込む「ライフワーク」を設定するための認識として。
「現在」の所在地を読み取る大きなヒントとして、職場、働き方、価値の生み出し方を一変させた、過去の何度かの波を考えてみましょう。
・第一の波
そもそも「職場で働く」という感覚は最初からあったわけではなく、それが本格的に広がるのは、産業革命が契機だったのだろうと思います。一般的に、産業革命は1760年代から1840年代頃までの間にイギリスを端緒として、紡績機や蒸気機関が発明され、普及し、家内制手工業から工場制機械工業に移ったことを指すわけです。
産業革命以前にも「職業」と呼べるものは存在していたはずです。神官に兵士、鍛冶屋、織物屋、農民、漁師、商人。それでもまだ、多くの人は今で言えば個人事業主、家業という感覚でしょうか。そして産業革命は、多くの労働者が、家を出て工場に集まって働く、という労働形態を浸透させたわけです。現代につながる職住分離、つまり住居と職場が別にあって毎日通勤する、という働き方がこのとき出来上がったと言えるでしょう。「職場」が広く成立し、「働き方」が大きく転換したのです。
技術的な面から言えば、産業革命は、「価値の生み出し方」の転換によって生じました。それまでは手作業で行っていた仕事が、紡績機などの機械を使って行えるようになりました。エネルギー源も、人力に代わって、水車などの水力、燃料を燃やす蒸気機関などに置き換えられました。
この産業革命の過程を、年表を眺めて時間軸で考えてみましょう。
1760年代から1840年代までの約80-90年間のうち、まず先行したのは、「基礎的な技術の発明」のフェーズ。1764年ジェニー紡績機発明、1769-85年ワット蒸気機関発明、1784年パトル製鉄法発明、1785年カートライト力織機発明。少し遅れて汽船や機関車も発明されました。
次に、技術の発明は一段落する一方、「技術の活用による産業の確立」のフェーズに移ります。1786年の英仏通商条約で貿易が自由化され、1800年代にはイギリスの工業生産、貿易高が数倍に急拡大。1825年にはイギリスがそれまで禁じていた機械の輸出を解禁しています。綿織物工業の大量生産が確立し、鉄道業も生まれました。
そして、3つめのフェーズとして、「個人の生活や社会構造の転換」にまで進んでいきます。1810年代には機械による失業に反発する機械打ち壊し(ラッダイト)運動。そして工場労働者を守る工場法が1802、1833、1844、1847年などに順次整備されました。時間給の賃金労働が浸透し、労働者は農村を離れて工場に集まり、近代的な意味の「都市」が現れました。
『レ・ミゼラブル』でファンティーヌがマドレーヌ氏(ジャン=バルジャン)の工場で働いていた場面の舞台は1820年前後。経営者層と労働者層の分離が進んだ時代でもありました。王侯貴族以外の市民が、「ブルジョア(資本家)」と「プロレタリア(労働者)」に分かれたのです。
・第二の波
このイギリスの「産業革命」は、工場で雇用されて機械の動かし手として働くという、それまでとは職場、働き方、価値の生み出し方を変えるものでした。続いて、第一波の産業革命が世界に波及した頃、現代の働き方にさらに大きく近づく第二の転換が起こります。
数万人から数十万人が働いて大量生産を実現する大企業が生まれ、その巨大な規模を運営するために多層的・官僚的な会社組織が築かれた時代。それは、それまでの経営者層と労働者層との間に、その巨大組織を運営するための大量の事務労働者を必要とするようになる転換でもありました。被雇用者が「ホワイトカラー=事務労働者」と「ブルーカラー=身体労働者」に分かれたのです。
第一の波たるイギリス産業革命は軽工業の成立劇だったのに対し、この第二の波を生んだのは重工業の成立を原動力とし、1850年代から1930年代頃、ドイツやアメリカを主な舞台とする出来事でした。
その過程を第一の波と比定して見てみましょう。
まず1番目の「基礎的な技術の発明」のフェーズ。まず、一連の電気技術。ファラデーやマクスウェルが整備した電磁理論の理解を背景に、1866年にジーメンスが発電機、1876年にベルが電話、1879年にエジソンが白熱電球を発明。もう一つに、石油動力の実現。1850-70年代に内燃機関が成立、1883年にダイムラー・ベンツが自動車を作り、1903年にライト兄弟が飛行機を作りました。
続いて2番目の「技術の活用による産業の確立」のフェーズ。自動車製造業のフォード(1903;現同社)、石油業のロックフェラー(1870;現在のエクソンモービル、シェブロン、BPアモコ)、鉄鋼業のカーネギー(1901;現在のUSスチール)、通信業のベル(1885;現在のAT&T、ベライゾン)、電機業のエジソン(1889;現在のGE)など、アメリカ近代史を飾り現代にも連なる巨大企業が生まれました。
そして3番目の「個人の生活や社会構造の転換」のフェーズ。電車や自動車で通勤し、会社ではピラミッド型の組織で上司や部下に挟まれたホワイトカラーの事務職として働く、という現代に通じる「会社員」の生活が定まったのがこの頃だったでしょう。
また、巨大資本への蓄積が進み、ウォール街ではモルガン財閥やゴールドマン=サックスが成立。企業が株式市場を通じて所有され取引される現代的な資本主義社会が確立したのがこの時期だと言えるでしょう。NYSEの取引高は1900年前後の数年間で数倍に急拡大し、そして1929年の大暴落に端を発する世界恐慌に至ります。
・第三の波
世界恐慌と世界大戦という混乱期を経た戦後。
第一次産業革命は水車や蒸気機関、第二次産業革命は石油や電力と、エネルギー源の変化が大きな特徴でした。そこから単純に延長すると、第三次産業革命は原子力エネルギーが突き動かすと当時の人は考えていたのだろうと思います。ですが、現代に生きる我々には、第三次産業革命はもはやエネルギー源の変化ではなく、電子工学の誕生による情報革命であったことは異論の余地なく明らかです。
第一次、第二次の産業革命がそれぞれ約80年間の期間に渡り、基礎技術の誕生から社会構造の変化までの波及過程をたどったことを思い出すと、混沌の時代と言われがちな現代史は、とたんに明瞭に、歴史の必然が「みたび」繰り返されている時代に思えてきます。
1番目の「基礎的な技術の発明」のフェーズ。1946年完成のENIAC(最初のコンピュータ)開発。1945年頃のノイマン型コンピュータの発案。1947年のトランジスタ発明。1958年のIC(集積回路)発明。1970年頃のRDB(リレーショナルデータベース)の発案。1969年にはARPANET(のちのインターネット)が開始。ハードウェアで言えば、1952年に初の商用コンピュータ(IBM)、1964年にメインフレーム(IBM)、1977年にパソコン(Apple)が発売されています。
2番目の「技術の活用による産業の確立」フェーズ。初期に設立されたIBMやHPといったハードウェアメーカーに続いて、1970年代にはApple、Microsoftが設立。1982年の任天堂のファミコン発売がエンタメ分野の嚆矢。さらにサービス面でも、1988年に商用インターネットが開始され、1995年にAmazon、1997年にGoogle、2005年にFacebookがサービス開始。B2Bでも、ERPやCRMが開発され普及したのは1990年代です。
3番目の「個人の生活や社会構造の転換」のフェーズ。ホワイトカラー事務職の仕事の多くが、コンピュータの画面に向かって情報を扱い、飛び交うEメールを処理する時間へと姿を変えたのは1990年代頃からでしょうか。情報通信技術のおかげで、満員電車や交通渋滞の中を通勤する必然性が薄くなり、分散型の働き方が徐々に広がりつつあります。
情報機器によって事務作業の多くが置き換えられた結果、ホワイトカラーの事務職は残酷なほどに二分化されるに至っています。コンピュータで置き換えられない、意思決定・戦略策定に関わる仕事や高度な専門職など、ごく少数のホワイトカラーが極端に付加価値の高い職に従事し、高給取りになっています。一方、コンピュータに置き変わらないもう一つの事務職群である対人の仕事も残っています。営業マン、中間管理職、そして人とコンピュータの間に立つSE。これらの職は、高度な専門性を持つごく一部を除いては、付加価値の低い労働を強いられています。この二分化こそが、流行語のように言われる「格差社会」の正体なのではないかと思います。
また、情報入手・通信のフラット化が進んだ結果、企業の巨大組織に所属することが必須条件ではなくなり、小規模ないし個人でも一流のスペシャリストとして仕事をする素地が生まれていることも注目に値します。ホワイトカラー上層の高度事務職は、人材としての置換困難性(irreplaceability)の高さを活かして、もはや組織から自由にさえなろうとしているのです。一方で、ホワイトカラー下層の単純事務職は、相変わらずリストラで放出されることに怯えなければならない環境にあります。
・「情報革命の浸透期」を生きる
第一次、第二次の産業革命と同じパターンの3フェーズ80年のサイクルが繰り返しているように見えるこの第三次の産業革命。同じようにサイクルを時間軸に振るのであれば、1950年代に始まった波は2030年代頃までをサイクルとし、2010年代の「現在」はその浸透・成熟期にあると見ることができます。基本的な技術革新や事業創造は既に一段落しており、それらによってもたらされた社会構造や働き方の転換が浸透してゆくときだということです。
この比定を信じるなら、いくつかの「予言」、21世紀の社会観・職業観への示唆が導かれます。
まず、「技術革新」をキャリアの中心にしたいのであれば、情報革命の単純な延長線上にあるテーマでは、時代を画するほどの革新は望みにくいと考えられます。情報革命が始まって既に60年、トランジスタやIC、プログラミングやRDBなど「情報革命の第一フェーズ」で現れた技術革新に並ぶほどの根本的な発明は既に尽くされていると考えるのが自然です。ソーシャル、拡張現実(AR)、ビッグデータ、O2O、ジオロケーションなど現在ホットだとされている分野も、革新的な技術が生まれるというよりは既存の情報技術を横展開して活用の幅を広げる類の話だと言うべきでしょう。
人類の次の時代を切り開くほどの技術革新を起こしたいのであれば、それはまだ見ぬ「第四次産業革命」の第一フェーズになることでしょう。単純に過去を延長すればそれは2030-50年頃に始まるのでしょうか。働き方や社会構造までも変えるそれは、次世代のエネルギー利用術、革新的な生体技術、脳科学の革命など、今でも多少想像できるものでしょうか、それとも全く予想外のものでしょうか。第三次産業革命が自然な延長の予想を裏切るものであったことを考えれば、それを見抜くにはより深い洞察を必要とすることでしょう。
次に、「事業創出」をキャリアの中心にしたいのであれば、IBM、Apple、Microsoft、Amazon、Googleなど「情報革命の第二フェーズ」が生んだITの巨人に並ぶほどの新しいビジネスモデルを新たに生み出すのは、もはや可能性は小さくなる一方と言えるでしょう。ただし、プレーヤーが変わることは十分あり得ます。「第二次産業革命」でも、先発のフォード・GMを後発のトヨタが追い抜き、先発のGEが築いた電機産業がソニーやサムソンに入れ替わりました。「情報革命の成熟期」が続くと思われる今後数十年間は、情報産業の既存のビジネスモデルを改良しより成熟させ洗練させることがビジネスの主戦場になると予想できます。
そして、目下進行中の第三フェーズ「個人の生活や社会構造の転換」を掴む仕事にこそ、時宜を捉えた実り多いライフワークの選択があるのではないか、という考えに至ります。
情報機器が事務作業の多くを置き換えた結果、より高度で複雑な情報処理や意思決定をシンプルに直感的に行える限られたごく少数の人材に、高等事務職としてさらに負担が集中する傾向が続くでしょう。そのため、法律、会計、経営戦略、ITなど様々な面で高等事務職に関わるB2Bサービスは、全体としての重要性はいよいよ増しつつ、この時代の変化に合わせて重点を移していくことが求められます。
第一次、第二次産業革命を通じて「個人」から「会社」へと重心が移動してきた動きは反転し、需給バランスが売り手市場に傾く高等事務職は、組織のくびきを離れて流動化が加速するでしょう。個人として高い能力を持つ高等事務職が流動し、それと会社とを結びつける機能には業界として大いに伸びしろが期待できるでしょう。第一次産業革命が生んだ「会社に集う」ワークスタイルは情報技術の成熟によって一転してその必然性が低下し、高等事務職の個人化の動きと相まって、分散型の働き方がさらに広がることでしょう。
高等事務職と単純事務職の乖離は、社会問題、教育問題にも大きな影響を与えることでしょう。職業経営者を含む高等事務職は少数に負担が集中するために子育てなど生活との両立が課題になる一方、単純事務職は「ワーキングプア」「下流社会」の世界が現実味を帯びてきます。高等事務職を担う有能な人材を育てることが国の競争力を分ける一方、大卒の人材の大半が高等事務職になり得ない現実は教育制度全体を揺さぶります。
・イノベーションリーダーになれない日本
この節の最後に、少し日本のことについて。
江戸時代の鎖国を解いた日本は、幕末・明治維新でイギリスから1世紀遅れて「第一次産業革命=軽工業革命」を開始し、繊維工業大国となりました。さらに、日清・日露戦争の前後に「第二次産業革命=重工業革命」に進み、第二次大戦の前には世界に追い付いたと言ってよいでしょう。いくつもの要素が重なって、倍速回しの奇跡的なキャッチアップを見せたわけです。
戦後の混乱期を経て、日本は「第三次産業革命=情報革命」でもまたも後追いの立場となりました。自動車や電機ではキャッチアップして大きなシェアを手にしたものの、MicrosoftもGoogleもFacebookも日本発で生み出すことができませんでした。キャッチアップは上手でも、三周目でもまた日本は世界のイノベーションリーダーになれずにいます。
「第一次」の舞台はイギリス、「第二次」はドイツとアメリカ、「第三次」はアメリカの独擅場だったと言えるでしょう。「第四次」が引き続いてアメリカによる主導となる必然性はなく、どこが舞台となるのか見通すことはできません。
「日本は高齢化の進む課題先進国だから、課題解決先進国となろう」とも言われます。この発想自体は今の日本の空気によく合うものと思います。ですが、むしろ大きく前を向いて、日本発の「第四次産業革命」で次の時代を拓くことを目指せないものでしょうか。今度こそ日本には鎖国も敗戦もなく、経済、技術、科学、教育、およそ全ての条件で十分な水準を持っています。「課題解決」というビジネススクール流の使い古された発想もよいですが、大胆な飛躍を必要とする技術・社会のリデザインは、本質的に異なる舞台として未来に広がっていることでしょう。これから数十年間を生きる世代だけが、その挑戦権を持っているはずです。
(なお、「ICT」「ビッグデータ」を熱心に標榜する人の中で、一見似た見方として、「産業革命」、「情報革命」、そして今は第三期のデータ革命期だ、という意見を伺ったことがあります。筆者はこの意見には与しません。社会構造や働き方、企業組織の転換まで視野に入れると、「現在」をそこまで過大評価する気にはなれないのです。)
■ 2.インターネット時代の「ソーシャルの次」
もう一つのトピックとして次に、産業革命史の数百年単位よりも身近な、数十年単位の範囲の話をしましょう。
「第三次産業革命=情報革命」の浸透期と位置付けた現在ですが、ビジネスの流行は目まぐるしく移り変わり、一世を風靡したITベンチャー企業がほんの数年後には凋落の憂き目に遭っていることも珍しくありません。
起業家精神にあふれた友人たちから、あるいは就職活動に直面する学生たちから、先の見えない業界動向の展望を聞かれた時、以下のような話をしています。
・「地球の裏側」
インターネットが技術的に整備されたのは1970-80年代、それが一般にも幅広く使われ始めたのは1990年代前半、今から20年ほど前のことでした。このときからインターネットに触れていた方は、どんな用途に最初に飛びついたかをご記憶でしょうか。
当時、インターネットを使える環境を手に入れたら、皆まず真っ先に、「www.whitehouse.gov」や「www.nasa.gov」とブラウザのアドレスバーに入力したものでした。GoogleやAmazonの創業よりも前のことです。「インターネット」「ワールドワイドウェブ」「アドレス」「ブラウザ」「アクセス」「ダウンロード」など、一つ一つの言葉全てが目新しかった時代。
当時、米政府やNASAなど、地球の裏側で掲載された情報を直接受け取れるなど、想像もできない時代でした。米政府の発表は、まず現地メディアが記者会見で情報を受け取り、日本メディアの現地局が受け取り、翻訳され、日本側の記者が電信で受け取り、配達される新聞や電波に乗ったテレビ放送のニュースで伝えられる。それだけの何重のステップ、フィルタを経て受け取るものだったのが、インターネットによっていきなり一市民が直接受け取れるようになったのです。地球の裏側の情報を直接受け取れる、それこそが情報技術の革命の象徴的な出来事だったのです。
・「ホームページ」と「300人の友達」
その後、1990年代後半から2000年代前半には、インターネット利用環境は加速度的に普及していきました。
多くの企業が独自のウェブサイトを作り、企業広報には必須のものになっていきます。「ホームページ」という和製英語が普及したのもこの頃(英語でhome pageといえばウェブサイトのトップページのこと)。この「ホームページ」文化の浸透で、インターネットと言えばお店やメーカー、新聞社などから情報を受け取れるツール、となっていきました。この頃にインターネットに触れ始めた人は、米政府やNASAのサイトを見た記憶はないことでしょう。多くの人にとって、地球の裏側よりもお気に入りの百貨店のほうに関心があるものです。
そして、次の転換は2000年代の中頃、SNSの登場です。
日本でいえば「mixi」や「GREE」、アメリカでいえば「My Space」や「Second Life」など、SNSサービスがインターネットの最大の利用目的に取って代わりました。数百人の「友達」の情報を受け取り、また自分でも発信することが、インターネットでの最大の関心事となったのです。その後、主役は後発の「facebook」「twitter」「LINE」などに移り、2010年代前半の現在に至るまで「ソーシャル」という言葉がもてはやされる時代が続いています。
これは考えてみればとてもシンプルな構図です。インターネットが最初に一般市民の目に触れたときは、地球の裏側の情報を自由に受け取れるようになったことこそが技術革新による革命的な出来事でした。ですが、人間というものはやはり、地球の裏側よりも日本の会社、日本の会社よりも300人の友達、に自然により強い関心を持っている、ということによる当然の成り行きだというわけです。
・「300人の友達」?
多くの人がSNSを日常的に使用するようになった現在、新たなひずみも見られるようになりました。
大半の人にとって、正直なところ、「300人の友達」の毎日のランチの写真、映画の感想、夜景を見た感動、にはそこまで興味がないのです。結婚した、転職した、などと聞けば祝福の言葉を届けたいとは思っても、今まで年に一回の年賀状で満足だった人たちの毎日の生活まで知りたくもない。逆に、自分のことを投稿するときも、結婚や転職なら「300人の友達」隅々まで知ってもらいたいと思うにしても、今日のランチがおいしかったことが「300人の友達」隅々に届いてしまっても困惑する、という人も多いでしょう。
もともとたいして興味もないけれど、技術的に可能になったのが目新しいから、「300人の友達」の情報の垂れ流しを欠かさずチェックしているわけです。これはまさに、なぜかホワイトハウスのページをまず欠かさず見た頃と全く同じです。
時代は必然的に、次に進むことでしょう。
・「ソーシャル」の次
そう、本来、人が強い関心を抱くのは、「300人の友達」ではなく、もっと自分に近いところなのです。
それは、「4人の家族」であったり「6人の仲の良い親友グループ」であったりすることでしょう。
今、うちの子供はどこで遊んでいるんだろう。おばあちゃんの体調はどうだろう。ペットの機嫌がよくないのはどうしてだろう。今日の夕食でみんなが今食べたいのは何だろう。冷蔵庫で何を切らしてたっけ。自動車にガソリンは十分入っていたっけ。来週の連休はどこに行くとみんな喜ぶだろう。
これらの一部は、スマート家電などの形で取り入れられ始めていますが、まだまだ爆発的に浸透するほどニーズを突いたものはありません。
そして、行きつく先、人にとって自然に最も関心が強いのは、家族よりもさらに近いところ、そう、自分自身です。
昨日行ったお店で気になっていたことは何だったっけ。昨日会った人と何を話したっけ、何か頼まれていたけれど思い出せない。明日はどこに行こう。今日は食べ過ぎたかな。最近ちょっと運動不足だろうか。生活リズムが乱れているのはどうやって直そうか。今日は体調がちょっと悪い気がする。
既にこの関心に応えるサービス・製品の片鱗は見え始めています。Google Glassのようなメガネ型端末だったり、FitBitのようなリストバンド端末だったり。「ライフログ」と呼ばれるサービスも一部では始まっていますが、まだ決定打はありません。
「ソーシャルの時代の次」は、もうすぐそこです。
■ 3.まとめ
どんなに優秀な人たちがチームを組んで素晴らしい仕事をしたとしても、それが時代が求める潮流に合っていなければ、時代にその痕跡を残すことはないでしょう。仕事は、人様の役に立つものでなければならず、その「人様が求めるもの」は時代によって移ろいゆくのです。
未来は確定的に予測できるものではありませんから、ここでご紹介した「時代のストーリー」ももちろん絶対ではありません。ですが、何が「これまでの世界」で、何が「これからの世界」なのか、その「時代の潮目」はおぼろげながら確かに見えてきます。
多少の金持ちになることが人生の目標なら、「これまでの世界」のビジネスモデルをうまく模倣する最短ルートを採り、そのために「今」の瞬間を見極めることこそが重要でしょう。時代の大きな潮流よりも、「今」というタイミングに世の中で求めらているものを捉えればよいのです。
ですが、それとは別の、「これからの世界」を切り拓く役割を果たすという生き方もあるはずです。それは、マネジメント能力を極めて大組織のトップになるのとはまた違った意味での、「社会的リーダー=先導者」としての生き方。
人間の人生は一度きりです。「2000年代に始まって2050年代まで」など、その人がキャリアを築ける期間も動かすことができません。
その一度きりの期間。「これからの世界」を先導する生き方を選ぶ人間でありたいものです。