極めて厳しい試練をこの国に与えた全貌がいよいよ明らかになりつつある東日本大震災。
津波が人々の生活の全てを押し流す映像にはただただ言葉を失い、
家族や愛する人を失った方の悲嘆に暮れる言葉には耐え難く心が痛みます。
この未曾有の事態に自分に何かできないのか、と問うものの、
個人で毛布を送るわけにもいかず、今できることは義援金の寄付や節電への協力のみで、
初期の活動は自衛隊や警察、消防など組織化されたプロの手に任せるべしと悟るところです。
個人での活動は難しいこの初期フェーズですが、自分たちはどう考え、行動するべきか。
思うところを2点、以下に書こうと思います。
■■ 1.事態の軽重を的確に理解し、それに基づいた行動や発言を。
周知の通り、日本の歴史に前例のない規模の事態がいくつも同時進行で生じています。
・津波による犠牲者・行方不明者 (おそらく数万~10万人か)
・津波から生存したが食料も不足する避難者 (40万人超)
・岩手・宮城・福島で広範囲にライフラインが止まった被災者 (数百万人)
・福島第一原発による避難・屋内退避 (数十万人)
・東京圏を中心とした計画停電と交通混乱 (3千万人)
・東京圏を中心とした福島第一原発の影響懸念 (3千万人)
・経済活動の様々な面での停滞
この事態の中で、何に最も手を尽くすべきか。何を最優先に考えた行動や発言をするべきか。
それを考えることは、まだ個人レベルで直接的な支援をできない今でも意味があると思います。
まず最初に考えるべきなのは命の数、そして2番目に日本復興のための経済活動、
という指標で考えるべきだと考えます。
原発の事態については、今のところ、
直接的被害は負傷者数十名、そして時間に余裕を持っての避難者数万名。
東京を含めて原発から離れた地域では、健康への懸念は今のところ全くありません。
ごくわずかな確率ながら、もし今後極めて事態が悪化して大量の放射性物質が飛散し、
最悪に近いケースとして東京圏全体に数十mSVレベルの被曝が広がるとすると、
例えば概算イメージでは、首都圏人口のうち屋内避難を十分に出来なかった人10%に、
数千人に1人などの確率で発癌など潜在の健康被害が広がる、といったことが想定されます。
つまり、生じ得る「潜在的犠牲者」は考え得るほぼ最悪のケースでも数百人。
この事態が実際に生じる確率はざっと0.1%以下だと思われます。
一方の太平洋岸の被災地では、
既に数万人の犠牲者の発生が否定しがたい事実として明らかになりつつあります。
これに加えて、津波からなんとか生き延びた数十万人の避難者のうち、
もし支援の遅れによって高齢者を中心に数%の方でも一度は長らえた命が止まってしまうなら、
万単位の命をさらに失うことになりかねない危機が今そこにあると考えるべきだと思います。
この状況の中で、まだ命が危ぶまれる事態までは全く波及していない東京で、
漠然とした不安のために原発の影響から逃れようとして社会混乱に拍車をかける行動を
率先して取ることは、個人的には気が進むものではありません。
見えない脅威を怖がって東京を離れたいと思う一般市民は非難されるべきではありません。
ですが、ある程度高度な知識や判断能力を持った社会リーダー層は、
社会が混乱する時こそ冷静に、何を優先して考えるべきかを示すことは無駄ではないでしょう。
そして命が最優先されるべき初期対処を過ぎると、日本経済の再興が次の課題となります。
そのときにもまた、何を優先課題と捉えるかにその人その人の矜持が現れることになるでしょう。
■■ 2.懸命の対応には無節操な批判ではなく、称賛、提案、そして自身の行動を。
福島第一原発での情報提供や、計画停電についての対応についてなど、
政府や企業のいくつかの対応には様々な批判が寄せられているのを目にします。
混乱した対応を見せられたときに腹立たしい気持ちを感じることは自然です。
ですが、そんな時にはいったん考えてみることがあろうと思います。
その人の立場に(知識、組織も含めて)そっくりそのまま自分がいたら、
批判に耐える鮮やかな対処を絶対にすぐ出来ると自信を持って言えるかどうか。
今回のM9.0の大地震の発生は、日本近現代史において全く想定されてこなかった事態です。
次々と起こる前例の全くない事態に、前線で対処に当たられている方々は
どなたも今持てる能力を総動員して全力で当たられていると確信します。
実際に、地震発生直後から現在に至るまで、
政府を中心とした迅速かつ大規模な対応は本当に称賛に値するものだと思います。
以下のリンクの官邸ウェブサイト内のページで
「平成23年(2011年)東北地方太平洋沖地震について」
の名前で掲載されている活動全体のまとめは、更新され続け今は75ページになっています。
http://www.kantei.go.jp/jp/kikikanri/jisin/20110311miyagi/index.html
ここに一覧に見ることができるのは、
地震発生直後の空自出動に始まる大規模な情報収集・捜索活動、
様々な組織・地域から集まった数万人が参加して1万人以上を救っている救出救助活動、
多岐に渡る組織が連携してのパン、おにぎり、毛布など様々な物資供給や医療チーム派遣、
そして在日米軍や海外からの多数の支援チームとの連携。
まさに驚嘆・称賛せずにいられないこれらの緊急対応の救援活動は、
未曾有の災害下にあってもなお日本という国に対する誇りの気持ちを思い起こさせてくれます。
もちろん、この事態にあっては100%完璧と言える対応は有り得べきもなく、
こうしていればより良かった、と言える対応も挙げるときりがないでしょう。
誰も経験しない対処を行うことの難しさは、東京電力に遅れて計画停電を始めた東北電力が
東京電力で生じた失敗を学んで計画を設計したことによく表れていました。
このような事態にあるからこそ、関係者の対応を批判したくなるときは一呼吸置き、
まずその予見できない事態への全力での対処に敬意を表して称賛し、
その上でよりうまく対処できる方法の提案という前向きな意見提供を行うべきだと思います。
そしてその先では当然ながら、意見を口にするばかりでなくどんな行動をできるかを考える。
今はまだ個人には実際に行動できることは限られています。
それでも、「言葉ばかりでなく行動しなくては」と衝動的に感じた気持ちは薄れさせることなく、
一人ひとりがそれぞれに出来る形で被災者の支援とこの国の再興への貢献を続けてゆく。
それこそが、この数日間、絶望や慟哭、不安や混乱の連続を目の当たりにした日本が、
より強く美しく幸せな国としてこれからもなお前に進む道であろうと思います。