この個人的メモの意図は、今現在、自分が依って立つ原則、 ”Principles of My Life” を書き出すことです。
日々の経験や見聞の中で、この考え方は自分の人生として大事にしよう、と思う事柄がいつの間にか溜まっていくもの。そういった「自分のルール」を書き出して整理し、それを以てまた自分の次のステップに投影していく。3、4年間隔でそんな習慣を作ってみようと思っている次第です。
8年前は、職業選択を幼少の頃以来の計画から転換する決断をした時期でした。4年前は、職業人として3年間経過し、大きな病気も経験した時期でした。今、三十而立の歳を越え、「而立」を形にし始めている時期の記録が本稿です。
なお、本稿は、自問自答、自省自戒の性質ゆえ、以下では丁寧語や平易に噛み砕いた説明、背景記述は省略して、ごく簡潔な文体で書いていますので無礼をお許しください。また、これは筆者が自らに課すものと想定して書くものであって、個々の事情を顧みずにそのまま他の人に適用することを想定するものではありません。
■1. 人の役に立って食っていく
何らかの形で人の役に立ち、その対価を受け取ってそれで自分も食っていく。それこそが、貨幣経済が生まれる前の古代から21世紀の現代も変わらない、社会の最も基本的な摂理だと考えよう。全ての仕事の目的は、誰か人様の役に立つこと。
この原則を理解している人をこそ、社会に生きる人、「社会人」と称したい。職業に貴賎なしと言うが、この原則を共有できない人は賎しいと感じてしまう。徴収財源から受け取る給料、アービトラージで掠めるカネなどに満たされると、よほど注意しないとこの原則を忘れ盲目になる。
世の中には秀才の役立たずも数知れない。本当の職業人は、どうすれば人の役に立てるか、人生を賭して追求し模索し続けている。そして価値を理解する人には本物の価値を提供できるし、きちんと人の役に立てる価値を提供したときは恥じることなく奢ることなく正当な対価を受け取る。
■2. 個人名義で生きる
「○○会社○○課長」ではなく、「○○さん」と頼りにされ頼まれる存在として生きていく。所属や肩書ではなく、個人の名義で生きていくということ。
自分の仕事、自分の成果、自分の履歴がある。それを通して、感謝すべき人・信頼すべき人がいて、感謝してくれる人・信頼してくれる人がいる。この積み重ねこそが人生。個人名義でない仕事、つまり個人名ではなく社名や肩書名を相手にされ、他の人に頼んでも変わらないと思われる仕事に費やす時間は、そこに積み重ねることが出来ない。
世の人は、大企業の社員や公務員、国家資格の士業が安定していて良いと言う。本当か。経営破綻や株主の心変わり、政策や制度変更など、不可抗力で自分が無価値になる。そんな不安定さに自分の人生を委ねたいとは思えない。
■3. 交換不可能な人材になる
社会は「誰もが特別なオンリーワン」で済むような生易しい世界ではない。「人の役に立つ方法」のどんなに狭くても少なくとも一つの領域において、自分が圧倒的なナンバーワンでなければいけない。それによって初めて、自分にしか出来ない事柄が生まれ、個人名義で生きることが可能になる。
交換可能な人材でいる限り、仕事は辛いものであり続ける。交換不可能になるとは、あらゆる交渉権を自らに引き戻すことでもあり、それは人生の自律性を取り戻すことでもある。それを可能にするのは交換不可能性であって、起業や独立といった外形では必ずしもない。
事業組織の運営者は、「社員Aさんが去ると立ち行かず倒産する」では済まない。それ故、必然的に「高性能でも替えの効く人材」を在庫として揃えるのが企業経営としては正しい。交換不可能な人材になるとは、会社の利害とも対立し自分の身一つで道を拓く覚悟を必要とすること。
■4. 仕事を地道に積み重ねる
どんな地味な機会であれ、妥協せず自分の署名に恥じない仕事を残すこと。それを積み重ねていれば、どこかで眼力のある人が、たまたま目に留まったときにその価値を見抜いてくれる。その縁が、また次の機会を招いてくれる。
自分は努力したのにと不平を漏らす人は多い。しかし努力したこと自体には何の価値もない。それが結果を生んで初めて価値が生じる。でも、だからこそ、頼まれずとも妥協せずに力を尽くして極致を求める。その追究がいつしか他の追従を許さない世界を形作る。
営業機会や人脈を探してばかりいる人は、眼力のない人をうまく言いくるめることに長けていく。顧客リストが最大の資産だと言い、自分の顧客を取られると不信感を露わにする。虚勢は張るが自分自身に自信を持てず、職業人としての美学も築けない哀れな人。
■5. 誠実さを崩す必要はない
生来の真面目さ誠実さはそのままに自然体でいるのが一番良い。下手に職業人格を作って過剰な気遣いを見せようとしても疲れるだけ。自然体で内容自体に集中していた仕事のほうが結局は高く評価してもらえる。その性格も含めて好いてくれる人と自然に縁が広がる。逆に、人から評価されなければと気にしてしまった時に一番自分が駄目になる。
心理的な交渉術を繰り出して出し抜こうとする人。媚びへつらって好条件を引き出そうとする人。そういう人工的な感情表現を得意げに使う人達と付き合うのが最も気が滅入る瞬間。それなら無理に付き合い続ける必要はない。それが個人名義で生きるということ。
価値を生まず掠めるだけの短絡的な儲け話からは、その場では損をしてでも距離を置いたほうがよい。単に正義を気取るのではない。自分にとって一番貴重なのは自分の頭を使える有限の時間。悪だくみとその隠し立てに思考時間を浪費するのは、創造的思考への時間の投資を妨げる嫌悪すべき無駄。
■6. 愚者への怒りで自らを拘束しない
人間不信に陥る経験をすることもある。既に完了した仕事の報酬を約束通りに請求すると、「感情的に払いたくない」と意味不明な回答を受ける。職業人としてこれ以上ない侮辱。約束を守る云々など小学生レベル以下の人をビジネスパートナーとして信用していたことに唖然。屈辱。怒り。軽蔑。自分へのあきれ。
でも、そんな愚者への怒りに頭を支配されること自体、自分の時間の全く不毛な損失ではないか。怒りの感情に自らを拘束されるのではなく、早々に絶縁してそれ以上関わらず、つとめて忘却し、次の世界を考えることにさっさと頭を切り替えよう。
負の感情の力はとても強い。身を任せると四六時中頭を支配する魔力を持つ。社会問題などでも同じで、「義憤」は一時的には高揚感をもたらすが、過度に没頭すると自らを見失う。義憤を感じ正義を叫びたい衝動にかられたときは、まず一呼吸おいてそれは創造的かと自らに問う。
■7. 志はライフワークの大枠として
一度きりの人生、何かを成し遂げたと言える「ライフワーク」を持ちたい。一方で、その時々で手掛けることが出来る仕事は、人や機会など偶然の縁によってジグザグで進むもの。一つ一つはジグザグで良いのだけれど、大枠としてはある一定の方向に進む仕事を手掛け、社会をその一定の方向に変えることに貢献したい。そのライフワークの大枠を、自らの「志」として持ち続けよう。その大枠を持っていさえすれば、ジグザグに左斜め右斜めではあっても、着実に「志」に向かって前に進み続ける。
志はと聞かれれば答えられるようにはしておこう。自分にとって現時点でそれは、『サイエンスの思考体系を自然科学以外の身近で重要な対象(例えば社会課題や企業経営)に適用する価値を普及させること(、それによって不条理を排し誰もが現代文明を享受できる社会作りに貢献すること)』。ただこれ自体は、ジグザグな道の大枠、方向を示す道標になっていればよい。
■8. 行動と経験への好奇心
「好奇心を大事にしよう」とよく言うけれど、知識や発見への好奇心を持ち続けるのはそれほど難しくない。人生の豊かさを決定付けるのは、それに加えて行動や経験への好奇心を持てるかどうか。
今まで経験したことがなかった新しい働き方を務める機会があれば、それは自分の専門外・担当外だとは言わずに、取りあえず好奇心を持って一度は見よう見まねでやってみる。新しい場所、新しい人、新しい内容、新しい技術。頭で知識として知ることができればそれで十分と考えがちだけど、自分自身で経験して初めて見えてくる世界観が必ずある。
知識への好奇心と違って経験への好奇心は、本の次のページを開けばいいものではない。やっぱり最初は不安だし怖い。一歩踏み出すとっさの度胸が必要。でも取りあえずやってみよう。その一瞬の度胸の積み重ねがいずれ大きな差を作る。
■9. 率先して失敗しよう
「私、成長したいんです」、「成功体験を積みたい」、と言う人が多い。実際のところ「成長」とは「慣れと気づき」、それ以上のものではない。ワーカホリックでマゾヒストな人達の「成長」幻想に惑わされてもあまり得はしない。
自分にとっては「慣れと気づき」に大事なのは、失敗体験を一回でも多く自分で体験すること。成功体験でもなく、上司が偉そうに語るフィードバックに聞き飽きることでもない。成功体験は、今まで信じていたことの追証を得られるだけ。失敗体験は、今まで信じてきたことをひっくり返してくれる。
もっと若い頃は、万一失敗したらと不安で緊張してビクビクしていた。いつからか、むしろ失敗を経験するチャンスだと考えられるようになった頃から、目に映る世界が変わってきた。
ただ難しいのは、対価を受け取って成果を約束している時は、思う存分には失敗体験をしにくいこと。だから、タダで失敗体験ができる場はとても貴重。機会を見つけたら欠かさずに飛びつこう。
■10. 誰も考えていないことを生み出す
自分の「人の役に立つ」貢献量をスケールアップする道は二つ。大勢の人の行動を預る立場になること、そして大勢の行動や思考を変える新しいものを生み出すこと。前者は「マネジメント」、「出世」と言って目指す人が多いけれど、自分にしか出来ないことをするには後者が欠かせないし、まず断然楽しい。
誰も考えていなかった視点を鮮やかに描いて見せると、みんな今まで誰も見えていなかった世界に目を見開いて考え始める。誰も考えていなかった社会の仕組みやビジネスモデルを設計すると、大勢の人の働き方や生活まで新しくなる。
そのためには、「普通でいたい」「みんなと同じじゃないと不安」なんてありえない。お役所にありがちな先例踏襲主義もありえない。既に存在する肩書で表現できる働き方の定型なんて気にしない。自分自身が持つ常識も時にひっくり返してみる。誰の目にもまだ見えていない世界に常に目を凝らしていよう。
■11. 指導的立場の自覚
「ノブレス・オブリージュ」。社会の中で指導的立場を務めることの自覚と責任意識。
現代社会において、リーダーシップを執るのは権利というよりも責任。一定の能力水準が必要であり、誰もが担える役割ではないからこそ、それを担える人間はその役割を果たして社会に貢献することが求められる。船頭を出来る人間も漕ぎ手ばかりしている船は乗組員共々迷走して遭難する。
良い意味で「上から目線」を持とう。ちょっと視点の高い発言をすると「あいつ上から目線だ」と揶揄する人がいる。だが、普段から高い視点で見渡す意識を訓練しておかないと、必要になったときに俯瞰的な意思決定が狂ってしまい、却って多くの人に迷惑を掛けることになる。
偉そうにすればよいのではない、行き先を照らす先導役を謙虚に務めるのだ。そのためには時代を見通していなければいけない。時代の潮流はどこに向かってるか。今の時代だからこそ大事なことは何か。自分自身で考えた明瞭な大局観を持たなければいけない。
■12. 過去ではなく未来を見る
「我事に於いて後悔せず」。過去の失敗をどんなに悔しがっても、後からは少しも変えることは出来ない。でも、そこから教訓を学び取って、これから未来の成功を重ねていくことは出来る。過去の考察は、後悔のためではなく、未来を設計するためにこそ行うべきだ。
「守・破・離」。古典や定跡、流儀など過去から評価され続けているものには必ず一定の真理が含まれる。まずはそれを倣って虚心坦懐に学ぶが、真似を完璧に出来たと満足してはいけない。その本質を看破して消化し、自分の頭で徹底的に考える。過去は過去とし、未来は未来でゼロから描き出す。
「ここでは過去にこうしていた」を当然のことと思い込んではいけない。未来の創造者は、「未来の当然」を作り出し、それが現在に生きる者には「変化」として見えるだけだ。
■13. 自分と違うものを持つ人への敬意
日々、様々な方と知り合う。色んなことを教えていただいたり気づかせていただいたり。
敬意を持つ基準はシンプルに、自分が持たないものを持つ人であること。自分には出来ないことを出来る技能を教えていただいた方、自分には思いつかなかった視点に気づかせていただいた方には一律に敬意を感じる。その人はきっと自分が持たない経験を持っていて、自分には見えていない価値観や世界観が見えている、それだけでもう敬意を払わなければと思う。これはその人の年齢、性別、職業、社会的地位その他に一切関係なく。
逆に、これを共有できない人は応対に困る。体育会的な上下関係や企業組織内の上下関係をそのまま持ち込んで、自分より上、自分より下と区別して態度を変える人。偉そうに振舞う人ほど、組織に依らない価値を持たない弱い人。
■14. 頼り頼られ感謝する
誰しも、お互いに出来ることはそれぞれ異なる。手を貸してもらうととても助かるときもあれば、対価なしに人の役に立つ余裕があるときもある。些細な場面でお互いに役に立ち合えれば、とても幸せな関係になれる。
そして、ギブとテイクの交渉成立を急ぐのではなく、まずは与える側になろう。出し惜しみはせずに。役立つノウハウは抱え込まずに広く教えてあげよう。きっと役立つネットワークは労を惜しまずに紹介しよう。取りあえず感謝してもらえればそれで十分。
与えた分は返せ、いい話を紹介したら礼を寄こせ、と言う人には窮屈を覚えてしまう。お互いに頼り頼られ感謝して、情けは人の為ならずでいずれどこかで返ってくる、それくらいの関係が心地良い。
お世話になったことは自分ではしっかりと覚えておこう。恩人や師、苦境の時に傍にいてくれた人。どこかでその恩をお返しできた時は自分自身も本当に嬉しい。
■15. 多層的な帰属意識
「愛国」大好きな人がいる。「愛社」大好きな人がいる。一つの枠への帰属意識に執着する人はきっと、内心はとても不安で、その帰属以外に自信を持てるところがないことが露呈しないかと常に恐れている。
誰しも本来は多層的な帰属を持っている。地理的な帰属で言えば、出身地、県、地方、国、大陸、世界。コミュニティへの帰属で言えば、勤め先の同僚、母校の同窓、友人達、家族。その各々が、帰属意識と愛着を持つことで自分のアイデンティティとなり心の拠り所となる。
自分の多層的な帰属それぞれに幅広く愛着を持っていよう。国やら会社やら特定の一階層への偏執的な執着は、排他意識、敵対意識を生み、とても付き合いづらい人になる。
■16. 未知をもらう出会い、安心をもらう旧知
振り返って考えてみると、未知だった世界が大きく広がったのは、じっくり語り合って共鳴する人が出来たとき。でも思い起こすと、最初に出会った場では挨拶する程度で、ここから広がるとは思っていなかったことも多い。
内心では、一度に大勢の人と盛り上がるような場は苦手。誘われても億劫だなぁと思ってしまう。でも、過去に気まぐれで行ったときに出会った人と縁が広がったことを思い出して、足は重いけど行ってみる。また未知の出会いがあって、億劫に任せていたらこの縁はなかったと思い返す。
一方で、旧知の友人との時間は、何物にも代えがたい束の間の安息になる。見返りなど気にせずとも揺らぐことのない信頼と安心感は、幾年の時を越えて共有しているものがあるからこそ。
■17. 楽しさ悲しさを共有できる喜び
どんな大きな志や野心を語っていても、無上の喜びは最も近いところにある。ごく近しい人と共有する時間。楽しさ悲しさを単に共有するだけで安堵を得られる安心感。
共有する事柄や時間、感情が多くなればなるほど、言葉に出さずとも分かることが増えてくる。それと同時に、すれ違いを認識する機会も増える。時に辛い思いをすることもある。心底傷つけてしまい申し訳なく思うこともある。相手を思えばこそ、別の道を選ぶこともある。
そんな部分も含めて、起伏の連続自体が人生の醍醐味だと考えよう。人と距離が近くなること自体を避ければ、感情の振れ幅に思い悩むことも、楽しさ悲しさを共有する喜びもなくなる。そんな人生が何になるだろう。
■18. 痛みを知る故のしなやかさ
病気の経験から受けた影響はやはり小さくなかったと思う。
他者の痛みは、自らもその痛みを経験しない限り、本当にその辛さを思い測ることはできない。痛みを経験するとは、人生の深さを思い知ること。その辛さを共有して優しく接することのできる相手が増えること。一見平静を装っている人が抱えている辛さを想像できる幅が広がること。
痛みを経験すると、その痛みを取り除く人に対して畏敬と感謝の念を持つようになる。その痛みがない「普通」の状態がそれだけで貴重な幸せだと感じられるようになる。「普通」に日々の活動に没頭できるだけでもう十分なのだから、それに比べれば取るに足らないリスクなど恐れず、強くしなやかに思考し行動できるようになる。
■19. 好調も不調も人生の波
人生80年とすると約3万日、今日という日は一度しか来ない、一日一日を大事にしよう、と言われる。でも、人生の全ての日が充実した輝かしい日になるなんてありえない。
何でもうまく回り始めたような全能感の高揚に浸るときもある。全く何もうまくいかず、自分の意思では何もしようのない運命の絶望感に打ちひしがれるときもある。でもどちらも、長かったり短かったりはするけれど、終わりなく続くことはない。禍福は糾える縄の如く、誰の元にも交互にやってくる。
絶望の淵で耐えるしかない期間は、様々な人に迷惑を掛けお世話になり、感謝の念を深くするときでもある。嵐が過ぎて晴れ間が見えてきたとき、その空は前に見た晴天とはまた違って見えるようになる。
■20. ちっぽけな存在だと思い知る
人生80年、一度きり。自分にとっては無二のもの。なのに自分の人生で達成できることなんて大したことないじゃないか、社会の不条理の中で自分なんて無意味だ、と絶望したがる人もいる。
もっと広い世界を見てみよう。自分は、地球上に70億人いるうちの1人。地球に生命が生まれて40億年、幾億世代を経てきた先に今地球上にいる1世代。その地球を抱える太陽系と同等のものはこの銀河系に数千億個あり、その銀河系と同等のものはこの宇宙に少なくとも数千億個ある。
ソクラテスは「無知の知」と言った。2千年経た現在、我々は科学の成果によって圧倒的な事実を知っている。哲学者を気取るまでもなく、知れば知るほど自分という存在のちっぽけさを理解できる。
自分なんて本当にちっぽけな存在。でも自分にとってはそれは唯一無二の存在。そこまで理解した上で、自分の今を生きる。
以上、少々偉そうに書いていても自分で出来ていないことだらけで、でも未完成で前に進み積み重ね続けるのもまた人生だと思うことにしましょう。今のところはここまでです。最後まで読んでいただいた方には一つ二つでも何か気づきを得ていただいていたら幸いです。